まだらも
bobbinsmall
2012-04-21
...が、そういう手段を使っても自分の身体や脳といった器官をただもの論的に扱う問題圏に巻き込まれると意味がない。 ♪ 感情と感覚が個別に分岐して定立している点がある、という事の素朴な重要さ。 ほんとはそこに唯名論についての議論とかがついてくるはずだが、俗流クオリア理論ほんとに何なのか。気持ち悪いしイラっとする。クオリアの研究、と銘打たれてても実態は何も考えられていなかったのではないかという気に。そ...
岡本裕一朗『ネオ・プラグマティズムとは何か』
martbm
2012-04-19
私には、この311以降の原発政策に対する、日本の有識者たちの、周章狼狽ぶりが、意外であった。 つまり、彼らは、もう少し「いろいろなことを考えている」と思っていたわけである。つまり、こういった事態すらも「想定内」、検討の範囲内として、それなりに、合理的な 見識 を示すのではないかと考えていた。しかし、その姿は、一言で「なさけない」というもので、ようするに、彼らは毎日、なにを考えていたのだろう? と思...
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(5)
jmiyaza
2012-03-20
最後の「結論」なのであるが、これが肩すかしをくった感じがする、きわめて淡泊なものである。3つある。 結論1) ああしなければいけないとか、こうしなければとか思い煩うことはない。 結論は本を読んできて最後に読むものであるから、読者は今までこの本を読んでいたことによって暇と退屈について新しい見方を獲得したはずである。自分を悩ませるものについて新しい認識を得た人間は、何かが変わる。よってこの本をここま...
『やさしナリン』舞城王太郎
onmymind
2012-03-19
冒頭、唯名論を思わせる記述が出てきてついて行けるかとややあせらされるが、やがていつもの舞城的世界に突入してひとあんしん。 むかし私もふと思ったが、たとえば「ストレス」ということば、について。こんな言葉は近年になって一般化したものであって、それは便利だからこそ一般化した面も当然あるが、「ストレス」ということを気にするあまりなんでもかんでもがストレスを与えるものとなりかねないところがある、などなど。あ...
勧工場
bobbinsmall
2012-03-08
...識する事の弾力性の方が(その場を占めるものとして)大事だっただろう、と思う。 ♪ こういう心身に閉じ込められないメディウムという考えは自分を虜にすると遠くまで運んでくれるのだが、 引き戻される現実感(唯名論的な、あった事の一回性で満ちたもの)を、無理に宗派で画定的に取り扱おう とする試みは(自分が幾つか敢行し損ねた事にも増して)、とりあえず挫折し続けた、と言える。 ♪ 通りがあって歩きかえる...
クラウドヘッド+4
torasang001
2012-03-08
何かが刺さった背中が痛む。 ヌメリと不快感。血が流れている。 手を回そうにも、腕を動かせば肩に連動し、 肩が動けば背の肉が動く。そして激痛。激痛。諦め。 大きく息を吸い込む。内蔵が痛む。 息を吸い込む途中で大きく咳き込む。 あの時と同じ臭いの胃液と血を吐き出す。 その二つが混ざり、嗅いだ事の無い臭いを発する。 エマニュエル・レヴィナスにおける他者性、 このホロコーストで多くの同胞を失い、 戦前の...
閉じた中世から開かれたルネサンスへ:形而上学の観点から
nikubeta
2012-03-05
...には既存の哲学潮流は満足できないものにうつりました。バーゼルの公会議で教皇至上主義を確認して以後のスコラ学は聖職者の特権を保護するような伝統的形而上学に回帰していました。アルプス以北の大学で栄えていた唯名論は普遍についての人間の知を否定することで、人間霊魂の不死のような学説を証明することを不可能にしていました。一方イタリアの世俗的でアヴェロエス主義的なアリストテレス主義は哲学問題における宗教...
教父たちの遺産:八木雄二『天使はなぜ堕落するのか』
mickmack
2012-03-04
評価:★★★★★ 哲学の分かりにくさには、大きく二つの種類があります。一つが、純粋に論理的な難しさ。特に強い論理性への志向を持つ現代の分析哲学などを学ぶと、論理学や数学と類似の難しさを感じます。 哲学のもう一つの難しさは、もう少し根が深く微妙なものです。それはしばしば「一体何がテーマなのか分からない」という困惑の形を取って現れます。実際、哲学を勉強してみようかな、と思って世評の高い哲学書を読んで...
「思考法」って?〜多角的思考について〜
HeDis
2012-02-22
...なればという思いです。 ちなみに「思考法」を大雑把にいうと「考えの考え方」です。なので、思考法は捉え方によっては無数にあることになりますね。哲学も一種の思考法として扱えるかもしれません。例えば、哲学に唯名論と実在論というのがあります。これを鼻血が出るほど簡単に説明すると 唯名論 名前があるから、私たちはそれがそれだと分かる。名前がないと、それが何か分からないのだ! 実在論 あるもんはあるんだ...
2012-02-21
furuyatoshihiro
2012-02-21
...実であるキョウはガルズオルグの世界では虚であり、例えばシズノのその逆である。だから、こちら側の世界で、キョウが記憶を取り戻すと、シズノは記憶をうしなわなければならなくなる。 ●これはほとんど、実在論と唯名論の対立であるかのようだ。この争いを打破するのは、実在論に内在する実在論への批判(シマのオリジナルとシズノ)と、唯名論に内在する唯名論への批判(キョウとカミナギ)の結びつきであると言える。 ...
言語で把握できない世界
DOISHIGERU
2012-02-18
...るあらゆるソフトウェア可能性がすべて、言語表現空間においては尽くされると考えている。 よって、愛とは何であるか、その考えの違いの一つ一つの言説のすべてが一つの言語表現空間で尽くされている。 注意点2 唯名論とかソシュールとかウィトゲンシュタインの話は都度導入します。この記事は車輪の再発明をして遊んでいると思ってください。 わからなくて答えをちらっとみるような感覚です。
アルチュセールの最後の書物からの抜粋
femmelets
2012-02-14
...のは、世界には、予見できないままに「私たちに落ちかかってくる」ような事実、状況、事物だけしかないわけですから。このテーゼによれば、相互にまったく区別された単独の事実や個体しか実在しないのですが、それは唯名論の基本テーゼなのです。 ルイ・アルチュセール『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』(フェルナンダ・ナバロ、山崎カヲル、大村書店)、p.54 ──そうしたテーゼを再度取...
2012-02-11
atelier_en_ligne
2012-02-11
...、離れているもの同士を遭遇させるので、ときに暴力的である。 07:06 via Mobile Web 「死んだ土地」も「死の街」も、もういいかげんメディアは、民放はともかくも、せめて#nhk ぐらいは唯名論的な言葉狩りはやめて、もっと別のアジェンダ・セッティングをしたらどうか。<
金曜、土曜
yamamomomo5371
2012-02-11
・土曜副職。金曜、KHと荻窪で会う。ジョナサンでパフェを食べる。荻窪から阿佐ヶ谷まで歩き、阿佐ヶ谷の坐和民で呑む。一時間ほどカラオケ。 ・極端から極端。 ・購入 『マルセル・デュシャン』絵画唯名論をめぐって ティエリー・ド・デューヴ著 鎌田博夫訳 法政大学出版会 『作画三昧』―青邨文集― 前田青邨 新潮社 『毛沢東の思想』 シュラム著 北村稔訳 蒼蒼社
2012-02-08
furuyatoshihiro
2012-02-08
...ンのマーケットプレイスでは六千円近くする…)、以下に書くことは下の書評のみを参照している。 http://d.hatena.ne.jp/katos/20111007/1317981119 ●実在論者と唯名論者の間でなされる普遍論争というものがある。実在論(スコトゥス派)とは、普遍そのものがそれ自体で存在すると主張するもので、唯名論(オッカム派)は、実在するのは個物であって、普遍は「名」として...
言語習得のプロセスについて考えてみた
yagian
2012-02-04
...。 これから少々偉そうなことをあれこれ書いていくわけだけれども、基本的には素人の与太話なのであまり真に受けないように(なんていう前置きをしたら誰も読まなくなるかな)。 哲学の大きな議論に「実在論」と「唯名論」の対立がある。ごく簡単にまとめると、「実在論」はそれぞれの事象に本質が「実在」すると考え、「唯名論」は本質が実在する訳ではなく、唯だ人間が名づけているだけだと考える。 例えば、「赤」とい...
The Longer Single Axiom of Leśniewski's Ontology Comes from the Contextual Definition of the Definite Article of Russell's Theory of Descriptions. In Particular, its Axiom Comes from the Definition in Russell's Introduction to Mathematical Philosophy.
nuhsnuh
2012-01-15
Leśniewski の Ontology の、最初に発見された longer version の単一公理 (AO) が、Russell の記述の理論における定冠詞の文脈的な定義式の一例とそっくりであるということを、ここで記してみたい。このことは、既に専門家の先生方にはよく知られています。そのため、以下に記すことに目新しいことは一切含まれていません。ただ、個人的な memo として書き...

















sena_maze